頭にはガスマスク。体には防護服。
「報酬を受け取る気がある者だけ契約書にサインしろ」
肩にマシンガンまで下げさせた状態で何を言うか。
そして、拒めば待っているのはあの冷たい路上。
生活の場を共にした連中が次々と名前を連ねる。
Name L……エル
Sex Female……女性
Race Asia……アジア
ラストホープと言う名の宗教団体に拾われた私達に示された道は二つ。
傭兵になるか、否か。
私がそれに名を連ねたのは……独りであそこに戻されるのは嫌だったからだ。
そして駆り出されるは宗教戦争。
相手はファティマの夜明けとか……どっちも一度TVで見たカルト教団の名前なんだが。
もう後戻りは出来ない。
それでもまだ、本部ビル屋上の退路確保を命じられた私に地獄は無縁のものだと思っていた。
報酬は結構な額だったから、それを元手に真っ当に生きる道が見つかればいい。
良い月夜だった。眼下に広がる森。ここは陸の孤島。
作戦が終わるまで月見でもしていよう。
慌ただしく降りて行く他の班の後ろ姿を眺めながら、そう思っていた。
23:00。作戦開始。
だけど、たった数ヶ月の訓練は皆を変えてしまっていた。
そして、私も。
「おい、行くぞ?」
「え?」
所詮はごろつきだったか、訓練の結果気が大きくなったのか、持ち場を離れると言い出した。
手柄が欲しい。それだけの為に。
「ダメダメ。そいつも中身は、女の子なんだし」
「ロッソ、その減らず口にパイナップル詰めてやろうか?」
「出来る?」
無理。
「じゃ、そいうことだから。お前は必死になって俺達止めたって事にしといてやるよ」
「あっ……」
待って……。
何故追わなかったのだろう。何故止められなかったのだろう。
皆逝ってしまった。私独り残して。
回収ヘリが、屋上でへたりこむ私を見たらどう思ったかな。
月が綺麗だった。
数ヶ月前、初めて見た殺人の現場。
そこから逃げ出した先にいた男の銃をかすめ取ろうとした晩もこうだった。
その男が、この部隊の隊長だった。
そして……。
「……やめよう」
情けなくへたりこむのは。それこそおかしい。
一人で突っ立っているのも変だ。
一緒について行って、一緒に叱られるか。
23:15。行動開始。
古ぼけた階段を下りて扉を潜った先の廊下は、
「何……これ……」
血の海だった。赤くべたつく足下。転がっている、同じ班の連中。
さっきまで、ついさっきまで……。
「班長……イド……?」
悪い冗談と、言って欲しかった。
解っていても、揺すり起こそうとしたら、腕がもげた。
「っ!」
飛び退いた先の嫌なべとつきに壁から体を引き剥がす。
解っていた。解っている。この出血で、四肢がバラバラで、生きてるはずなんて無いって。
でも、なんだって、いくらなんでも、初陣で、こんな……。
本当に、本当に私独りなのか? 他に、他に誰か……!
「ロッソ!」
あの減らず口。サバイバルに足手まとい連れて生き残った奴。
突き当たりにへたりこんでた。
何にも、考えてはいなかった。
「ロッ……」
ただ、駆け寄って、掴んだ肩が、有らぬ方向に転げ落ちた。
ロッソは、色々と、もう訳が分からない状態になってた。
これは夢だ。悪い夢だ。目が覚めたら、新聞紙にくるまって……
いや、いっそあの家のベッドで目が覚めてくれればいいのに。
逃避したところで小鳥のさえずりなど聞こえるはずもない。
代わりに聞こえてきた、嫌な重低音。
規則的に繰り返す、軋むような音が私を現実に引き戻す。
足音? 警備の誰か? 胸騒ぎを押さえつけて、廊下の曲がり角に照準を合わせる。
嫌な音は、確実に近づいてくる。
「何……」
石像が出てきた。こっちに歩いてくる。
そんな非現実的なことよりも何よりも確かなことは、その6本の腕に血染めの剣を握っていると言うこと。
血の気が引く。
コイツがロッソを、コイツが、仲間を……。
「来……」
殺……。
「くそおおおおおおおおおおおっ!!」
隊長の言葉なんざ無視して最初からフルオートにしてあったマシンガン。
初めて向けた相手は、人間では無かった。
止まらない、怯む気配も無い。
ただ、がむしゃらに、でたらめに。
乾いた音が鳴るまで。
何度引き金を引いても、同じ。
「嘘……」
重低音、血染めの剣。
抵抗手段が、無い。
膝が笑う。目が引きつってる。
引き下がった足が、何か柔らかいモノを踏みつぶす。
「!」
走った。敵に背を向ける。飛び込んだ袋小路の扉。
最悪の選択肢。
「ハァッ、ハァッ、ハァ……」
真っ先に目に付いた転がってる守衛と思しき男。やったのは、うちの隊?
これが報い?
扉越しにあの音が聞こえる。自分の右足が真っ赤に染まってる。
嫌、あんな死に方。野垂れ死ぬのも惨殺されるのも御免だ。
守衛の懐を漁る。ハンドガン一発が何になる。
何か、せめて何か、ここは警備室。あるのは、モニターと、ロッカーと、テーブルと……。
バリケードを張るぐらいしか脳のない自分が、嫌になる。
その時背後で、嫌な音が響いた。
「う、うあああああああああああああああああっ!!」
全てが緩慢に見えた。
巨大な質量が浮かび上がる感覚。それが重力から解放される感覚。
自分のしでかした事に対する呆れ。
投げ飛ばされたテーブルは両断され、その片割れは迷い無く石像の首を捉え、持っていった。
「あ」
後ろにつんのめったそれは、派手に土煙を上げて崩れ落ちた。
そして、もう起きあがる事は無かった。
動かない。もう動かない。
だけど、私は砕けなかったテーブルの断片を持ち上げ、
「こ……のぉっ!!」
もう動かない、そのガラクタに叩きつけた。
危機が去った自分の頭は、嫌と言うほど冷静だった。
転々と残る赤い足跡が自分のものだと解る。
死体が3つと無数転がっている廊下で考える。これからどうする?
この様子だとうちの班は全滅、私の銃も弾がない。
あの石像がもういないとも限らない。屋上に逃げ込んでも意味がない。
武器は拾ったハンドガン一丁。次に無傷のあれと遭遇したら、絶望的だ。
だからしょうがない。生き延びるには。死人に持たせていたって、仕方がないから。
「……使わせて頂きます」
形だけの弔いを済ませ、ポケットを探る度に赤かったり変な色の液体が零れて来た。
ガスマスクのお陰で、血や内蔵の匂いが鼻に届くことは無かったが。
「最悪だ……」
本当に、あの頃街を賑わせてた事件もあって娼婦にだけはなるまいと思っていた。
そうかと思えば死体漁り。
人としてのプライドか、女としてのプライドか、どちらも、ただのお飾りか。
回収は、思ったほどできなかった。
切り刻まれたロッソはそれ以前の問題。
隊長は弾を撃ち尽くしていたし、回収できたのは、一突きでやられていたイドのだけだった。
「……ごめん」
一人には多すぎて、独りぼっちでいるには心許なくて……
何考えてるんだろう……数ヶ月を共にした仲間なのに。
私独りだけ生きてる……自分が生き残ることしか考えて無い。
「戦争に来たんだよな、私達は」
なのに射殺体が無いってどう言うことだ。
笑い話にもなりゃしない。
立ち上がる気にもなれない。
いっそ笑ってみるか。
目を閉じ、軽く息を吸い込む。
そして聞こえてきた、扉の音。
「誰?」
後に続く、革靴の乾いた音。人が、生きてる。
当然のように追いかけた。
それが一体誰だったのかとか、戦争に来たとか、全く考えもせず。
突然、目の前が開けた。
「キャアアアアアアアアアアアアッ!」
飛び出してきた緑の影。天井がひっくり返る。
視界をシャンデリアが横切る。その視界を横にずらしていたのは守衛の格好した女。
「あ、あれ、あれ!!」
やはりというか当然というか、いた。
起きあがったとたんに嫌なもの見せられた。
「どけっ!」
邪魔者を弾き飛ばす。
距離はある。落ち着いて、冷静に、さっき仕留めた時を思い出せ。
狙うは一点。
「落ちろおおおおおおおおっ!!」
怯まない。止まらない。
でも、壊せないわけじゃない。
振動を押さえつけろ。首を狙え。照準をずらすな。
石像から鈍い音が響いて、引き金から指を話す。
首を削られて、頭部を失ったそれはガラクタになった。
さっきと同じ……当てが外れてたら、この女と心中だったな。
振り返ればちゃんといる。ちゃんと生きてる。
「大丈夫か?」
「え、あ、ありがとう……」
見た感じ私より年上か。守衛にしては、偉く弱そうだが。
かがみ込んで顔を見てみる。化粧といい体つきといい、とても守衛が勤まるとは思えない。
「お前、ここの守衛だろう。何故アレに追われてた?」
「アタシだって知らないわよ。あんな事になるなんて全然……」
迎撃されたわけではないようだ。
身軽なこの女が無事だったのは何も不自然な事じゃないだろう。
「警備ロボットの類では無さそうだな」
「そんなだったら配置されたときに聞いてるわよ。あちこち置いてあったけどまさか、こんな……」
やれやれ、状況が飲み込めないのはお互い様か。
とはいえ、ここに後どれだけ生存者がいるのか。
「お前、この辺りの構造は解るか?」
「……今度は貴方がエスコート役ってわけ」
どうやら散々連れ回されたらしい。
だが私もいきなり袋小路であれと鉢合わせたら洒落にならん。
「アタシはクラウディア。よろしくね」
立たせようと思って、手を差しだそうとした。その手は、
「あ……」
仲間の血で、真っ赤に染まっていた。
「えっと……大丈夫?」
「あ、ああ……ちょっと水がいるな」
「そこ、化粧室あるから落として来たら?」
「そうさせて貰う。余所行くなよ?」
いくらなんでもこのままにしたくないと思って、化粧室に足を向ける。
後ろでたじろぐ気配がした。
「どうした?」
「えーっと……言っちゃっていい?」
もう今更どうとでも。
「背中も凄い状態よ?」
「え……」
聞いてみれば、先ほどの足跡の主はやはり彼女で、逃げ出したのは私がバケモノに見えたからだったとか。反論などとてもできるような状態ではなかったが。
「あとそっち婦人用よ?」
……マテこら。
「自己紹介がまだだったな。私の名はL。女同士、よ、ろ、し、く、な」
「ご、ごめん、悪かったから銃おろしてぇ~」
どいつもこいつもこんちくしょう。
そういや補導されたかかった事もあったな。
「ったく……」
そして最悪な事に、水が出ない。
幾ら防護服を着ているとはいえ便器の水を使うのだけは勘弁願いたい。
手はもう仕方がないが背中の惨状だけでも何とかしたい。
仕方ないのでトイレットペーパーで拭き取る事に。
装備のせいで背中に手が回せない。うん、装備のせい、断じて。
「でもその格好じゃ性別なんてわかんないわよー」
結局手伝って貰った。
「声でわからんか声で」
「声の高い男の子だと思ったのよー」
女の声には聞こえなかったと?
「悪かったな」
紙切れまみれになった背中に妥協して……とりあえずここにじっとしてるわけにもいかない。
展望ラウンジ、廊下、どこも酷い有様だった。
飛ばされた四肢、両断された体。横で彼女が鼻を覆ってるから、きっと臭いも酷い。
だが、最初の犠牲者が強烈すぎたせいか、まだ二度目と言うのに慣れた手つきで死体を漁る自分が居る。
「ね、ねえ」
「何だ?」
そんな私は、いったいどう映ってるんだろう。
「その拳銃なんだけど……」
「ああ……持つか?」
いざというとき丸腰だと困るし、部隊の誰かと合流するときは隠れて貰うかもしれん。
抵抗手段が無くては危険だ。それに、元々彼女の同僚の物だし。
「んで、うしろからズドン?」
「!」
そう、元々は守衛だった彼女の物で、私はここに押し入った敵対組織で。
「やっぱ返せ!」
「えー」
ああっ、くそっ! 持ち上げるな!
「~♪」
良い年して子供からかって遊ぶなーっ!
「かーえーせーっ!」
「はいどうぞ」
「あ……」
あっさり返された。
なんだか苛められてるような気がする。
「さ、さっさと次行くぞ」
左手のドアは開かなかったから正面。
その先は奇妙なほど綺麗だった。内装でなく、荒れていないと言う意味で。
中央に置かれた数珠繋ぎの立方体も、飾り物の甲冑も、血の汚れや荒らされた形跡が無い。
「この部屋まで来られなかったのかしら……?」
「あそこに石像の台座が並んでたからな……」
突然動かれたらきっと逃げ場も無かったろう。
うちの班とこのフロアの制圧班は、全滅と見ていいんだろうか。
「クラウディア」
「何?」
「他の連中に心当たりは無いか?下のフロアの担当らしい連中がいないんだ」
「やっぱ、合流するの?」
「そうだが?」
こんな状況でだれも居なくなったら……ああ、そうか。
互いの立場を、すっかり忘れている。
「最後尾にいればいい。うまく匿ってやるさ」
「たっのもしー」
ダメだ。終わったら傭兵止めよう。
続けても戦えずに殺されるか役立たずとして始末されるかだ。
「で、どうなんだ他は?」
「えーっと……ごめん」
突然襲撃された人間には酷な話か。
「この先は解るか?」
「多分、ミニバーだと思う……」
そう思って扉を開けた先にあったのは、赤い絨毯と、派手なシャンデリアと、さぞかし座り心地の良さそうなソファー。バーと言うより、貴賓室とかそんなだな。
テーブルの上にワインの瓶が置いてある。最近TVで見た銘柄の奴だ。
蓋は開いてる。
「一本持ってく?」
「本物ならな。これ、匂いするか?私じゃわからん」
「あー……無臭。ただの水みたい」
水の入った瓶に、丁度テーブルクロスとある。
背中の血だけ拭き取っておく事に。
「な、なかなか落ちないわね……」
「次の部屋行くまで頑張っといて」
「ひどーい」
そこがさっき言ってたミニバーだった。カウンターも棚にあるワインも全部無事。
クラウディアが四苦八苦してるからちょっと腰掛けておくか。
「ほんと、余裕出てきたわね……」
それでも、いつでも動けるようにはしてるんだが。
後方は多分大丈夫だろうから、目の前の、さらに先に続くドアだけ警戒してる。
「思い出した。あなた達のお仲間じゃないんだけど人なら見かけたわ」
「どんなだ」
私達以外の、部外者?
「んー……三角帽子被った黒ずくめの人。多分気付いたの私だけだったと思うけど……なんていうか、ねえ」
「そこまで怪しいとかえって安全かもしれんな」
「お人好しって言われたこと無い?」
言った事は何度かあるんだが……ロッソあたりに。
……やめよう。
「一応落ちたわよ……どうしたの?」
「や、何でもない。それより、この先は?」
「解らないわ。メリッサもこの先は入ったこと無かったって……」
「メリッサ?」
「うん。ここの第一秘書、本当はアタシも第二秘書だったんだけど……」
どうりで弱そうなわけだ。
「長話なら歩きながらでいいか?」
「……スケベ教祖ひっぱたいたら守衛にされちゃったのよ」
いかにもな新興宗教団体だったわけだ。
「これなら首になった方が良かったな」
「ほんとだわ。せっかくのワインも水じゃ退職金にもならないってね」
よし、行くか。
「これ、持っておけ」
拳銃は返しておく。
「いいの?」
「素人にやられるほどヤワじゃない」
生きるつもりのある奴が持つべきだ。
「行くぞ」
私だって、本当は傭兵なんかじゃない。だけど……。
「……秘書だったんだよな?」
えらい無機質な通路に出たと思ったら、
「すぐ首になっちゃったけどね……」
硝子ケースに凍り漬けの生き物。
言葉にすればコウモリ人間の一言でいいのだろう。
それが実在するという事実と外観の醜悪さは嫌な予感を掻き立てる以外の何者でもなかったが。
その先に転がっていた石像と、深い穴。すぐ近くに操作パネル。
「昇降機があったみたいだな」
「これ、飛び降りたら死ねるわね……」
この先がさっきの廊下に繋がっていた。
そしてここまで分かれ道のようなものは一切無し。
最悪だ。
「なあ、クラウディア」
「何?」
「秘書だったんだよな?」
「そうだけど?」
「秘書室は?」
「さっきのエレベーターホール前」
「……」
「ひょっとして気付いてなかったの?」
馬鹿だ、アホだ、最悪だ。周辺状況の確認もせず行動していたなんて。
苛立ち紛れにクラウディアを引きずって来た道をただ戻る。
「痛い痛い痛い!」
アホだ自分。
屋上に通じる扉のすぐ横にあった。本当に何故気付かなかったのかと言うほど近く。
特に銃痕も切り傷も無い。もっとも、静寂が良いこととは思わなかったが。
扉の先に、期待していたようなものはなかった。
倒れてぴくりとも動かない秘書と思しき女の後ろ姿。
飛び込もうとするクラウディアを片手で制する。
床をはいずるような血の跡が奥の扉まで続いていて、その横にある赤い手形。
部屋は、それほど荒れていない。
「……ここか?」
「う、うん……この奥は、VIP室、なんだけど……」
怯えて、震えている。後ろで狼狽えていてくれるお陰で、私は冷静でいられた。
大丈夫。私は、戦い方を知ってる。大丈夫。
もう、死体に触れる事なんて、何とも思っていない。ただの、作業。
何のことはなく転がしたそれに、
「……!」
顔が、無かった。
あるはずのものがにない。
後ろからは見えたから、そこにないといけないはずのものがない。
血塗れの部屋、引きずられたような、頭の中を持ってかれたような、食い破られたような……。
ぽっかりと、開いた、穴。
「ど……どうしたの?」
振り向いて立ち上がろうとした。
ダメだとか、来るなとか言おうとしていた。
「あ……」
それらは全部、視界と一緒に、意識もろとも宙を舞った。
意識を失っていたのはほんの数秒だろうか?
クラウディアが駆け寄るまでだったから。
「ね、ねえ、大丈夫?」
流石に自分が倒れ込んだものに気付いたときはぞっとした。
横目に見たらそれの顔にハンカチがかけられていたから、思ったより長かったんだろうか。
「あ、ああ……」
中央部の凹んだハンカチが目に留まって、すぐ逸らした。
背筋が嫌に冷たい気がする。
マスク越しの視界に、銀色のシルエットが映る。
「はい、昇降機の鍵」
見るも無惨だった遺体の手は、胸の上で組まれていた。
その腕の一本が、半分ほど千切れてはいたが。
「……すまない」
「アナタばかりに頑張らせるわけ行かないでしょ」
死体漁りなんて一人で良かったのに。
まあ、こんな所に長居は……。
「すまん」
長居は……。
「?」
「……肩貸してくれ」
比喩でなく、本物の腰抜けになった私がいた。
「アナタもなかなか可愛いところあるじゃなーい♪」
「このまま死んじゃいたい」
情けなくて泣けて来る……。
彼女には悪いがこんな部屋、さっさとおさらばしたかった。
だが、あそこに転がっているのは彼女の同僚、ドアを潜った所で足を止めても、何とも思わなかった。
彼女の顔が、青ざめてるのを見るまで。
「どう……」
青ざめた顔が引きつる。それが、私の見た最後。
貧血で軽くなっていた体が突き飛ばされる。
視界が一面の床に埋まる。
視界に火花のようなものが散る。
その間中、耳に響いていた、悲鳴。
「痛っ……ぅ……」
額の痺れを堪えて振り向く。
目の前の扉は、堅く閉ざされていた。