「じゃあ、これは全部ギルド行きね」
街道の一角。一見すればこのまま真っ直ぐ続くようにも思われる道。
そこを通る馬車を降りる影があった。
「本当にこのまま歩いて村に向かうつもりかい?」
「うん。それに夕べ見たでしょ。あれ、絶対クシャルの影よ」
エメラルドグリーンの長い髪を靡かせた彼女。
その輝く瞳に、御者はヤレヤレというように手を振った。
若者特有の無茶と、彼に出来るのは様子を見るに留めておけと釘を差すぐらいだった。
「解ってるー!」
既に駆け出している彼女の後ろ姿に手を振る彼は思いもしないだろう。
街のギルド登録が無い故無名ではあるが、単身、それも弓一本で数多の竜を下していたなど。
山頂を目前にした場所。そこは、まるで嵐の跡だった。
否、嵐と言うなら正に吹雪のまっただ中にある。
白い世界に無惨な姿をさらす大型の草食獣、ポポの姿。
そして……吹雪と言う絶好の奇襲条件にも関わらず、その殺気を隠そうともしない巨大な影。
爬虫類独特の鱗に覆われた顔。
太い腕から広がっている皮膜に辛うじて竜の面影を残すソレは、完全な四足歩行の生物だった。
捕食者とその犠牲者。傍目にはそうとしか見えなかっただろう。
巨大な四肢が雪を蹴った。巨体の腕をすり抜け弓を構える。
自分のいた場所に吹き上がる雪煙。
「……凶悪ぅ」
口笛と共に零れたのは、そんな言葉だった。
今正に戦の火蓋が切って落とされる。
狩る者と狩られる者。どちらかが、どちらかに。
再び迫る四肢。それをかわし、最初の一撃を撃ち込むはずであった。
「にー……」
「!」
結果の見えた勝負だな……。
遙かな高みから見下ろす存在に、両者とも気付いていなかった。
「彼」は苛立っていた。その時まで、「彼」はこの山の主だった。
首筋の付け根の傷が痛む。
この頂から下界を見下ろしつつそこを後ろ足で掻くのが「彼」の至福の時だった。
夕飯を邪魔された上にこの負傷。
老いたとはいえ、それは「彼」のプライドを傷つけるに十分だった。
その不届きな新参者は、自分の物になるはずだった獲物を食い散らかし、次の獲物に取りかかっていた。
人間。
長い生の中で多くの生き物を見た。その中で、もっとも多岐にわたる生き物。
アレがその小さな生き物の手にかかるなら、己の溜飲も降りるとさえ期待していた。
しかし、人間という生き物は解らない。
アレが無防備な背を晒した瞬間、その人間は思いも寄らぬ行動に出たのだ。
逃げ遅れたのか、偶然そこにいたのか、アレの背後にいた更に小さな生き物がいた。
駆け出す人間。手に持つものが懐に飛び込むに適して無い事を知っていた。
「!」
そして、アレの尾が人間を小さな生き物もろとも打ちのめし……奈落へと突き落としてしまった。
アレが勝ち鬨とも歓喜とも取れる咆吼を響かせる。
気に入らなかった。
嬉々として下へ降りようとする新参者にあらん限りの力で風を吹き付ける。
進路を阻まれ右往左往する新参に、今度は「彼」が嬉々とする番であった。
丸々太ったポポを風翔竜から横取りした罪は重い。
……うかつだったなあ……。
迫る壁面。視界を覆う雪。
叩きつけられた衝撃と、ぐるぐると回る視界と衝撃。
彼女が目覚めた場所は、記憶とはまるで違う場所だった。
「う゛ー……」
全身がぬくい。ぬくぬくする。毎朝訪れる至福の時間。
パチパチと火の音がする。頬に触れる空気こそ冷たいが心地よい。
「お、気が付いたかね」
「んあ……?」
自分を見下ろしていたのは、壮年にさしかかっているだろう同業者だった。
「おっと、まだ起き上がらない方がいい。下が雪で助かったな」
全身が痛い。それでもこの至福は打ち消しがたい。
「横で寝てる小さいのに感謝するんだね。彼がいなかったら今頃氷漬けだ」
あー……そうだ。小さいのがアレの尻尾の真下にいてー……。
「すぴー」
小さい……毛の長いメラルーが自分の枕元で寝息を立てていた。
「全身打撲に失神、それに軽度の凍傷。まあ、全治数日ってところだろうな」
「そういや……ここは?」
「ポッケ村だ。君だろ、今日ここに来るっていうハンターは」
「あー……ラッキー……」
「ラッキーって……行き倒れの後任を見つけたこっちの身にもなってくれ」
「あははははー」
「ムニャムニャ……もう食べられないニャ……」
彼女の完治は、彼が告知した数日後よりやや早めだった。
扉を開け放った先は、雪国だった。太い丸太で出来た家がまばらに並んでいる。
待っていたのは自分の「元」同業者。
「やあ。もう大丈夫なのかい?」
「うん。全然平気」
「そういや、まだ名前を聞いて無かったな」
「Ly」
「ん?」
「ジャンボ村から来たリィだよ。よろしくね!」